揺らぐ性を生きる~私はジェンダー・フルイド

ジェンダー・フルイドという概念を1人でも多くの方に知っていただきたく、いろいろと書いております。

キリスト教徒がなぜLGBTを認めるのか

聖書には同性愛は罪と書いてあるのに、なぜキリスト教徒にはLGBTを認める立場の人たちがいるのでしょうか?

これは「自然科学」を認めるのと同じロジックなのだそうです。

 

その昔は、聖書に書かれていることが正しいことでした。

ガリレオが地動説を唱えて迫害されたことは有名です。

しかしケプラーを経て、ニュートンの時代になると、もはや地球が太陽の周りを回っているなどと言っても、まったく迫害されなくなりました。

 

ガリレオは1564~1642、ニュートンは1643~1727の人。

あら。200年ぐらいの時代差があると思い込んでましたけど、実はガリレオが亡くなってすぐにニュートンが生まれていたんですね。

つまり、あっと言う間に変化したということですね。

 

歴史的な経緯もあるのですが、この記事ではなぜ地動説、もっといえば自然科学がOKになったのか、そのロジックだけお話します。

 

簡単に言うと、「自然」というのは神が作ったものであり、当然ながら神の作った法則が自然を支配するしており、その法則を調べることは神の意思にかなうというロジックなのですね。

そうすると自然を勝手にいじることも、神の意思に背くことになります。キリスト教圏には左利きの人がたくさんいますが、これはそのように生まれたのは神の意思だから、勝手に直すのはそれに背くことになるからです。

その割にはヨーロッパの自然破壊は甚だしいですけど、それは措いてください。

 

LGBTも同様で、そのように生まれたのは神の意思だということなんですね。

 

ただしこれは、聖書ではなく、自然そのものに神の意思を見ようという思想を持つ人たちの考え方で、一方では聖書に書いてあることが正しく、聖書に矛盾することは間違っているという原理主義的な人たちもいます。

原理主義的な人たちは、当然ながらLGBTは神の意思に背くものとみなすわけです。

 

ということを、下の本から学びました。