揺らぐ性を生きる~私はジェンダー・フルイド

ジェンダー・フルイドという概念を1人でも多くの方に知っていただきたく、いろいろと書いております。

差別的ではないのか?(私には分からない)

性同一性障害者の性別の取扱いの特例に関する法律」という法令がある。

戸籍上の性別を変更したい場合の要件などを定めた法令だ。

第二条で大きく、その要件を定めている(第三条ではさらに細かい)。

「この法律において「性同一性障害」とは、生物学的には性別が明らかであるにもかかわらず、心理的にはそれとは別の性別(以下「他の性別」という。)であるとの持続的な確信を持ち、かつ、自己を身体的及び社会的に他の性別に適合させようとする意思を有する者であって、そのことについてその診断を的確に行うために必要な知識及び経験を有する二人以上の医師の一般に認められている医学的知見に基づき行う診断が一致しているものをいう。(性別の取扱いの変更の審判)」

なかなか問題のある条文である。

問題があると思う箇所を赤字にした。以下私の考えを述べたい。

1つは「身体的」という部分。自分の思う性別に対して、自分の身体を合わせることを性別適合手術と言う(昔は性転換手術と言った)。

これに対しては、FtM(女性から男性へ変わりたい)のGID(Gender Identity Disorder、性同一性障害者)が異議を申し立てている。以下(前後編とも)を読めば、この「身体的」という部分に問題があることが分かるだろう。

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私はジェンダー・フルイドを自認しているので、後編の「男女二元論」への違和感は特に共感できる。

それ以上に私には問題と思えるのは、「社会的」の部分。

そもそも性の「社会」性とは何か?

まず男は男らしい格好、女は女らしい格好をすべしという「見た目」の部分だろう。そのためGIDとみなされる人は、1年ぐらい「異性装」を日常的にすることが求められている。

ただ、どうしたって女性に見えないMtF(男性から女性に変わりたい)のGIDがいたりして、これはつらいだろうなあと思うのである。

それ以前に見た目が大事というのが差別的ではないのか?*1

さらに、この部分に「性役割」も含まれているのなら、なおさら差別的な話だろう。

実は第三条を読むと、「社会的」という部分にはほとんど触れられていないことが分かる。そこは国も曖昧にしておきたいのだろう。

しかし、それ以上に「性同一性障害者」という言葉が、既に差別的だ。

なので、「LGBG」ではなく「LGBT」、つまりGIDではなくTG(Trance Gender)なのだろう。


なので以下、GIDという言葉は必要なときにしか使わない。TGという。

 

だが、ここからが難しい。

見た目や性役割を「社会的な性」というのが差別的なのは間違いないと思う。

しかし、女装を愛する人FtMのTGも、基本的には見た目を女性にしたいと考えている。これはほぼ全員がそのはずだ。

一方、全部ではないが、性役割も女性でありたいという人も多い。専業主婦になりたいという人も多い。

私は実はそうだ。実際、料理や洗濯は私の仕事であり、掃除も多くは私がやっている。そして、そのことに幸せさえ感じている。女装がしたくていやいや家事をしているわけではないのだ(実際、女装せずに家事をしていることだって多い)。

これは差別的なのか、そうでないのか? 私には正直分からない。

あるいわゆる「ノーマルの女性」は、私の持っているのは「母性」だと言ってくれたのだが、先日もある歌が炎上したように、「母親の役割を求められることに反発する女性」が増えている。

www.j-cast.com

まあ、そういう中で、私のような「男」は貴重だとも思うのだけど。

 

ああ。もう1つ問題箇所があった。

「その診断を的確に行うために必要な知識及び経験を有する二人以上の医師の一般に認められている医学的知見に基づき行う診断が一致」

これは、性的マイノリティに関する専門家医学者などそんなにはいないということだ。なので、待たされている人が大量にいる。

とはいえこれは慎重を要する問題で、性別適合手術を受けた後に、失敗したと感じて自殺する人が多いのだ。

なので、先ほどの「手術なしで性別を変えたい」というのは、ありかもしれない。

 

*1:「見た目」についてちょっとだけ考察したことをこちらに書いた。

miyuki-morikawa.hatenablog.com