ジェンダーは考えれば考えるほど分からなくなる
ジェンダー・フルイドという概念は、とても説明しにくいと思っています。
私は「ジェンダー・フルイド」を自認していますけれど、本当にそうなのかと言われると自信はありません。
なぜそうなるのか考えたところ、そもそも「ジェンダー」という概念がよく分からないのだと思い当たりました。
そこで、どういう定義なのかを再確認しました。
こういうときには、定義をずらずらと並べてくれるコトバンクが便利です(Wikipediaは執筆者の価値観が入りやすいので、こういうときには向きません)。
様々な定義がありますが、共通するのは、セックスが生物学的な性であり、ジェンダーが社会的・文化的な性であることです。
そこまでは私も分かります。
ですが、そうなるとよく分からないのが、「トランス・ジェンダー」特にMtF(男性から女性になりたい)トランス・ジェンダーの人たちがなりたいと考えている「ジェンダー」とは何なのかということです。
以下ややこしくなるので、セックスの場合は♂・♀、ジェンダーの場合は男性・女性と表記します。
私自身、女性になりたいと思っていた時期がありましたので、MtFトランス・ジェンダーを否定・批判するわけではありません。むしろ肯定しています。
ですが、一般的に「女性差別」が解消されていないとされる世の中(特に日本)で、ジェンダーを女性に変えたいというのは、いったいどういうことなのでしょうか?
私は、実は専業主婦になりたいと思っていました。家庭に入って、子供は産めないけれど育てて、家事をやり、配偶者(社会進出を願う♀)を支えたいと考えていました。その代わりというと語弊がありますが、女性の格好をし、化粧をしたいと願っていました。
フェミニストの方から唾棄されそうな、古典的ジェンダー感ではないかと思います。
しかし、これはトランス・ジェンダーでも少数派のような気がします。
理想の女性感は人それぞれなのでしょう。
私のようなのもいれば、家事なんかとんでもない、いつも女性装だけしていたいだけなのという人もいるでしょう。
家事なんてものは、パートナー(これは♂の場合も♀の場合も両方の場合もそれぞれあることでしょう)と平等に分担すべきだという考えもあるでしょう。
こうやって書いていると、トランス・ジェンダーのジェンダー感も、一般の人と変わらず千差万別だと分かります。
ジェンダーという概念が分かりにくいのは、ジェンダー感に統一の見解がないからなのです、きっと。
女性だって専業主婦になりたい人はたくさんいて、その人たちは別に差別されているとは思っていないように見えます。
しかしちょっと社会進出しようと思うと、いろんな壁に阻まれてしまいます。ここにはやはり差別があります。
うーん。やっぱり書いているうちに混乱してきてしまったわorz
1つだけ確実言えるのは、トランス・ジェンダーというくくりはあったとしても、それぞれのジェンダー感は千差万別であり、目指すところは違うということです。
唯一共通しているとすれば、何となくそれぞれのジェンダーの「雰囲気」というものがあり、その雰囲気を目指しているのでしょう。
いわゆる「男らしさ」、「女らしさ」です。
そこも今は曖昧になっているのですが、それでも何となく「ある」のは確かなのです。
美輪明宏さんは、何となく女らしいとしか言いようがないじゃないですか。そういう感覚です。
まとまりませんね。難しいです。
比較的知られているトランス・ジェンダーでもこうですから、ジェンダー・フルイドなんて、それを自認している私にもよく分かりません。でも、分かってほしい。
ああ。矛盾。