希望はなくても声を上げ続ける
あたしはLGBTではありませんが、性的マイノリティという意味では親近感を覚えています。
とはいえLGBT側から見たら、あたしのような(自称)ジェンダー・フルイドなんて「趣味だし、治せるんじゃない?」と言われる類いかもしれません。
そんな馬鹿なと思うかもしれません。
でも歴史を振り返ると、そもそもL・G・B・Tの方々もそれぞれのセクトに別れていて、互いに仲が悪かった時代があったのです。
また、ちょっと事情に詳しい方なら、ゲイの人たちが女装子を軽蔑していたのは(今もその傾向はあります)ご存知でしょう。
では、女装子とエッチをする男性&女装子はゲイではないのかといえば、一般の人から見たら同性愛すなわちゲイでしかないけれど、コアなゲイ(男性同士原理主義!?)の人から見たら、ヘテロの変形であり、しかもヘンタイということなのです。
とはいえ、ゲイにもグラデーションはあり、男性×女装子もゲイと認める人ももちろんたくさんいます。
また男性に愛されたくて女性装をする人にも、トランス・ジェンダーもいればゲイ*1もいるのです。
なんて複雑極まりない世界ですから、「一般」のマジョリティがLGBTに理解を示しているかというとまだまだでしょう*2し、それよりもマイナーな私たちなど順番からしたらその後でしょうから、あまり希望は持っていないのです。
だからこそ、あたしのことを理解してくれているお友達には感謝するしかありません。
また希望がないと言っても、それはあたしが生きている間ということで、未来のために何かしなければという気持ちはあります。
ですので、希望はなくても声を上げていく必要はあるということなんです。
そして、冒頭で紹介した記事を書かれた方も、実はそういう気分なんじゃないかと思うのです。
今回の騒動が分断ではなく、世の中の議論を加速させ、対話が広がる方向へとつながってほしいと切に願う。
筆者の「切に願う」という表現、あたしには悲痛な叫びに聞こえます。
というのは、多様性を認めることは人類にはもっとも難しいことの1つだと思うからです。
詳しく書かなくても分かりますよね。
同質の人たちといると安心できます。一方、異質な人がいるとかなり不安です。
この不安を克服するのがとても難しいのは、いまだに戦争がなくなるどころか、いつまでたっても火種がなくならないことが証拠です。
まあ、それでもちょっとずつ世の中は変わっていきます。