揺らぐ性を生きる~私はジェンダー・フルイド

ジェンダー・フルイドという概念を1人でも多くの方に知っていただきたく、いろいろと書いております。

「男らしさ」に縛られず自由に

生物学的な性が男性でも、いわゆる「男らしく」ありたい人もいれば、「男らしさ」を求められるのが重苦しい人もいます。

世の中にはゲイ=オネエと勘違いしている人もいますが、これはゲイの人たちでもそうです。マッチョな人もいれば、オネエな人もいるのです。

 

私はいとこの中で一番年長です。両親どちらの親から見ても初孫でした。50年以上前に生まれていますから、当然のように「男らしさ」を求められました。

とはいえ、格闘技をやれとかそういうことはではなく、これまたやっかいな概念だと思うのですが、「普通の男であれ」という感じでした。要するに「ノーマル」な男なら何でもよかったんです。

 

ところが、初孫ということで甘やかされて育ったせいか、子どものころから人見知り。

人並みにクルマやロボットなどにも関心がありましたが、本当にしたい遊びはおままごとやお人形遊び・・・。

小学生のときに剣道をやったこともあったのですが、先生が怖くて、すぐに辞めてしまいました。

女性装を始めたのは小学校6年生からですが、幼稚園のころの遊び相手のお姉さんたちに口紅を塗られたりしたこともあって、芽生えは早かったと思います。

小学校のときスカートめくりが流行ったのですが、どちらかといえばめくるほうよりめくられるほうになりたいみたいな夢想をしていたと思います。

 

そんなあたしですが、それでも女性装は趣味に留めて、表面上は「男らしく」生きようと努力してきました。

しかしあたしは心が弱く、何かつらいことがあるたびに、なぜか女性的な方向に舵を切ってきたのです。

 

一度は性別違和でないか、カウンセリングを受けに行ったこともありました。結論は、性別を女性に変えたいわけではないということでした。

あたしは「男らしさ」を求められることが、つらかったのです。もっと「女性的」に生きたかっただけなのです。

 

いまは一部のお友だちとの間だけですが、存分に「女性」でいられる時間を作れるようになりました。

 

この1年ですごく変化したと思います。

「男らしく」しないといけない場面はもちろんありますが、十分満たされています。

 

あたし以外にも「男らしく」生きることにつかれている男性はたくさんいると思います。「女らしく」生きることがつらい女性も多いのではないでしょうか。

そういう方々のために、あたしが友だちから受け取っていることを渡していけたらなと思っています。