多様性を認める?
多様性を認めるというのは、大変な覚悟を伴うことなのに、そのあたりがなおざりにされているように思います。
知らない人は怖い。
自分と違う性癖・嗜好の人は気持ち悪い。
これらは人間の本能だと言っていいのでは?
少なくとも、こういう態度であるほうが、少ないリスクで楽に生きられます。
だとしたら、多様性を認めることはとてもハードルが高いこと。
お題目だけでうまくいくわけはありません。
「多様性を認めよう」と高らかに言う人には、「本当にその辺の覚悟はあるの?」と聞きたくなります。
「あなたたちが最初に逃げるんでは?」とも。
味方と言っていい人たちなのに、こんなことを言いたくなるのは、この人たちがやはりマジョリティだからなんだと思います。
かと言って、マイノリティだけで結束していても世の中は変わりません。
多様性云々以前に、マジョリティもマイノリティもお互い欠落しているものがあることを冷静に自覚すべきなのでしょう。
「覚悟」とは、「覚めて悟る」と書きますから。
※何かにおいてはマイノリティである人も、他の何かにおいてはマジョリティであることはしばしば。それなのに、この「欠落」を理解するのはとても難しいことです。不思議だわ。