揺らぐ性を生きる~私はジェンダー・フルイド

ジェンダー・フルイドという概念を1人でも多くの方に知っていただきたく、いろいろと書いております。

“自分の中にある「当たり前」を見直すことが求められている”

先日、毎日新聞の以下の記事を参照してブログを書いた。

mainichi.jp

この記事の中にいくつか参照先があったので、それぞれコメントしたい。

今回はこの記事に関して。

mainichi.jp

 

これは最後のパラグラフに尽きると思う。

男性ならこう、女性ならこうといったステレオタイプに苦しめられてきた人たちに新たな規範を押しつけるのではなく、一人一人の声を大切にしていけば、LGBTに限らずより良い報道につながる。性の多様性を新しく生まれた課題と捉えず、自分の中にある「当たり前」を見直すことが求められている。(太字は筆者)

人は「当たり前」、すなわち「常識」に囚われるもの。

自分の親やきょうだいが「同性愛は気持ち悪い」、「女装なんて変態がするもの」、「家族は子供を作って育てるのが使命」などと言う中で育ってきた人が、そうそう簡単に性的マイノリティに対して理解を示せるわけがない。

本人は理解しているつもりでも、ところどころで染みついた「抵抗感」や「違和感」が顔を出す。私もそれに何度も落ち込まされてきた。

理解してくれているはずの人から、落ち込まされたことも1度や2度ではない。

しかし、落ち込まされた人とお付き合いをやめないのは、私を一人の人間として見てくれていることが伝わっているから。

 

目の前の人を「一人の人間」なんだと思って対話を心がければ、抵抗感や違和感が残っていたとしても、相手は心を開いてくれる。開かれた心からの発言でないと、良い記事にはならない。