「そういうのはフェチと言うのよ」と言われても・・・
昨日、こんな投稿をした。
miyuki-morikawa.hatenablog.com
「リボンの騎士」で胸がキュンとなったのが、性自認が揺れるきっかけになったのではという記事だった。
しかし、よく考えてみると、元々性自認が揺れているからキュンとなったというほうが正しいのではなかろうか。
まあ、どちらが先でも結局今の私がいたのは間違いない。
それはそれとして、その30年後ぐらいに「リボンの騎士」で思わぬ目に遭った。
1996年ぐらいのことだったと思う。当時の東京の女装バーと言えば、新宿に集中していたのだが、それより西のK駅付近に「大阪スタイル」の女装バー(Aとしよう)ができたのだった。
大阪スタイルとは?
普通飲食店ではメイクをするサービスを提供できない。パウダーが散ったりして、不衛生だからだ。
なので以前の東京の女装バーでは、着替えを別の場所でするのが一般的だった。
ただパウダーが飛び散ってもいいように仕切りを作って、保健所に届け出すれば、飲食店の中でもメイクができるようになる。
大阪では、このタイプの女装バーが一般的だったので、この形式を当時は「大阪スタイル」と呼んでいたのだ(今は言わないかもしれない)。
Aのママは、以前はOLとして働いていたどころか、女子寮に住んでいたという伝説まである強者。
当時はすっかりただのおばさんになっていたが、それでも男には見えなかった。
ホルモンはもちろん、もしかしたら手術も受けていたのかもしれない。
Aには数回通ったが、行かなくなったのは、以下のやり取りがあったからだ。
「ミユキちゃんはどういうきっかけでこの道に入ったの?」とママ。
「んー。子供のときに見た『リボンの騎士』がきっかけだったかも」
「『リボンの騎士」ぃ~。いるわ、そういう娘。そんなのただのフェチよ」
ママはトランスジェンダーでないと認めないというタイプだったようで、これ以前にも「男と寝ないと女にはなれない」などの偏った持論をいろいろと開陳していた。
まあ先輩の言うことだからと思ってうなずくようにしていたのだが、さすがに「フェチ」と言われて、この人とは付き合えないと思ったのだった。
このようにマイノリティーと言われる人同士でも細かい違いで袂を分かつことはよくある。マイノリティーだからこそ細部にこだわるのかもしれない。
LGBTの連携など昔は考えられなかった。