揺らぐ性を生きる~私はジェンダー・フルイド

ジェンダー・フルイドという概念を1人でも多くの方に知っていただきたく、いろいろと書いております。

なんでこんなにパッションがないのだろう

このブログの読者のみなさまには信じられないことだと思いますが、私は自分のことをごく常識的な普通の人間だと思って生きてきました。

でも、最近揺らいで来ております。

 

そもそもジェンダー・フルイドって「普通」ではないかもしれません。

いや普通じゃないですね。笑

 

それはおくとして、他の部分でもいろいろと普通じゃないのかなあと感じることが最近多いのです。

 

例えば、上から目線と言われることがあります。そのような傾向が全くないとは言えません。自分では分からない部分もあるでしょうし。

ですが、こちらとしてはかなりへりくだった表現をしたつもりなのに、そう言われることがあるのです。

慇懃無礼という意味ではないようです。それなら意識してやることですし。

 

また自分のことを優しいほうだと思っていますし、むしろお人好しではないかと思っています。

実際そのように認識してくれている人も多いようなのですが、しかしそう認識しているのと同じ人が、どうも私のことを同時に恐れている気もするのです。

何だろう、何を恐れるのだろう・・・。

 

どうもこのあたりの感覚が、世間一般の常識ある人とずれているように感じます。

普通の人ならやらないような大胆なことをするくせに、普通の人が普通にできることに対して臆病だったりもします。

 

要するに私は、変な人なのです。

変な人だから、世の中に違和感があるのですが、世の中の人も私に対して違和感があるはずです。

 

こういう変な人が、小説を書くと「凄み」のある作品が書けると思います。売れるかどうかは分かりませんが、たしかに迫力はあることでしょう。

私も世の中に違和感があるのだけど、それをストレートに書くよりは、小説という表現形態で世に問うほうがいいと思っています。

で、そう思う人は、高い確率で実際に小説を書くわけです。それが無料だとしても。

 

私も書きたい気持ちはずっとあります。

でも、書いていない。

それはパッションが足りないからでしょう。

 

ちょっと控えめに書きましたけど、本当は私はかなり変わった人間という自覚があります。その分、実は違和感も大きいのです。

しかし、書かない。書けない。

なぜ、パッションが湧いてこないか、我ながら不思議です。

 

もっとひどい目に遭う必要があるのでしょうか。