揺らぐ性を生きる~私はジェンダー・フルイド

ジェンダー・フルイドという概念を1人でも多くの方に知っていただきたく、いろいろと書いております。

女装して人と会ってはじめて分かることがある―『女装して一年間暮らしてみました』

ジェンダー関連の本を少しずつ読んで勉強している。

Amazonで買うと関連する本がレコメンドされるので、「レコメンド・サーフィン」をしている。

その中でも、この本は目に付いた。 

『女装して一年間暮らしてみました』(クリスチャン・ザイデル著、 長谷川 圭訳、サンマーク出版)

概要はリンク先を見てほしい。

女装にハマったきっかけがまず面白かった。

ザイデルさんは寒がりで、風邪を引きやすい。ただももひきを穿くと汗だくになるような汗かきだ。ちょうどいい防寒具が男性用には見当たらなかった。

ところがたまたま通りかかった女性下着売り場で、ストッキングならいいのではという考えに取り憑かれしまう。

結局買うことにしたのだが、そのときの葛藤がリアルに描かれている(その後も葛藤に次ぐ葛藤が待っているのだが、逐一リアルだ。私には分かる)。*1

試してみたら、本当に心地よい。肌触りに心を奪われてしまう。あとは一瀉千里で女装の道に突き進んでいく。歩き方まで学びに行く。

この人は本当に決断が早く(でも葛藤はするのだ)、すぐにフルタイムでの完全女装を始めてしまう。

女性の気持ちを知るための実験だという大義名分だ。だが、妻はなかなか理解してくれない。妻が理解してくれるのか、それとも離れていくのか、ドキドキする展開だ。

 

ザイデルさんの行動はすごく唐突に感じるのだが、ときどき語られるザイデルさんの生い立ちから、このような「実験」を始めたのは必然だったことが分かる(必然とはいえ勇気は要るが)。そのあたりも読み応えがある。

 

ザイデルさんは、1年で女装生活をやめてしまうのだが(フルタイムじゃないだけで今も楽しんでいると思うのだけどw)、その間の出来事と気づき、考察がずっと語られている。

ひと言でまとめてしまうと、「男性」は実に「不自由」。しかし「自由」だと思っていた「女性」も実は縛られている。

それがフルタイムで女装することで見えてきたというのだ。

実は、私も同じように感じている。同じような人が海外にいたんだなと感慨深い。

 

女装して外に出て人と会ってはじめて分かることが世の中にはたくさんある。 

*1:葛藤するときには男の声が邪魔をして、女の声が後押しする。そこにリアルさを感じた。