闘うより役に立ちたい
「現代思想 2015年10月号 特集=LGBT 日本と世界のリアル」を読了した。
2年半前の発行なのでやや古くなっているところもあるように感じた。すでに「LGBT」という言葉自体が、相変わらずマスコミでは使われているけれど、古くなった感がある。
とはいえ、内容は網羅的で、それぞれ示唆に富み、少なくとも1980年代から今につながる、性的マイノリティの戦いの歴史を垣間見ることができたのは収穫だった。
性的マイノリティーの問題は、基本的には家族の問題だ。「毒親」云々の話もあるが、それだけではない。
もっと広く・深いものだ。
身体的に男女であり、性嗜好も異性に向かう父母と、彼らがなす子を核とした家族――「正常」な人間同士が「正常」な人間を育む装置――が社会の基本であり、それを逸脱する者たちは、社会秩序を乱す「社会の敵」であるという概念が根底にある。
逸脱する者たちは、刑事罰の対象だった(過去形で書いたが、ヨーロッパでも数年前までそうだった国がいくつかあるし、それ以外では今でもそのような国がある)。
刑事罰の対象でなくなったとしても、次は治療・矯正の対象になった。
性的マイノリティーが病気や障害でないという認識も、この数年(この本が発行されたあと)になってようやく公式なものとなりつつあるという状況なのだ。
日本は比較的「異性装」に関しては寛大な国で、歌舞伎や宝塚のように文化となっている面もある。ボーイズ・ラブ等の同性愛コンテンツもアンダーグラウンド(だけ)ではなく、普通に流通している。
だが、性的マイノリティー問題が、上に挙げたような「正常な家族」という共同幻想に基づく「差別」であるという認識は極めて薄い(ヨーロッパ諸国からは人権について関心の低い国だと思われているようだ)。
「正常」でないから、一方ではドキドキするコンテンツになり得るのだ。
このような差別は、言うまでもなく、他の差別とも根っこでつながっている。
なので、性的マイノリティーの運動は、フェミニズムと協調してきた歴史がある。
だが哀しいことに、性的マイノリティーの間でも差別の問題がある。たとえば、いわゆる「ハードゲイ」と言われる人たちは、女装者を軽蔑する傾向がある。
LGBTの中でもレズビアンは常に差別されてきたと、多くのレズビアン関係者は証言する。そのレズビアンから嫌悪されてきたという女性バイセクシャルの発言もある。
だから一方でLGBTが連携している運動があるというのは画期的なことなのだ。
以上のようなことが、この1冊でいろんな側面から学ぶことができた。
さて、このような状況であるから、性的マイノリティーの運動は、政治運動的になりやすい。
それが悪いとは思わない。レインボーイベントやプライドパレード(これらが政治運動かは別として)には私も今後機会があれば参加し、まずはどういうものかをこの目で見てみたい。
ただ、「差別する者=悪、ゆえに糾弾する」というのに、あまりコミットしたくないと私自身は思うのだ。
もちろん先人たちの糾弾のおかげで、私たちが暮らしやすくなった面は否定しない。私のような178cmある「男」が女性の格好で、近所でショッピングしたり、飲みに行ったり、あるいは電車に乗って出かけたりしてもぜんぜん平気なんてことは、10年前には考えられないことだった。
後ろ指を指さずに無視してくださっている人たちは、私をたぶんトランスジェンダーだと思っているのだろう。お店ではむしろ優しく接してくれる。こうなったのも、先人たちが声高に権利を主張してくださったからだ。感謝以外にない。
また糾弾する方たちが書いてくださった文章のおかげで、私自身たくさんのことを学んだ。
だからさっきも書いたように、糾弾自体を否定しない。
ただ、私は「戦士」には向いていないのだ。そうではなく傷ついている人たちを癒やす看護士になりたいと思うのだ。言い方を変えると、傷ついている人・困っている人たちのために専門的な能力を活かせるのであれば活かしたいと思うのだ。
こういうことを考えたのは、ライター・ファイナンシャルプランナー・行政書士の永易至文(ながやすしぶん)さんが書かれた「生活に根ざした性的マイノリティの老後を考える」という記事を読んだからだ。感銘を受け、自分もこのようなことをやりたい、このような生き方をしたいと思ったのである。
永易さんはハフィンポストの著者紹介から引用すると、以下のような方だ。
1966年生まれ。フリー編集者・ライターとして、同性愛者の〈暮らし・お金・老後〉をテーマに等身大のリアリティを求めて執筆を続ける。2013年、執筆だけでなく、自分が専門家となってサポートを提供しよう、と行政書士およびFP資格を取得し、東中野さくら行政書士事務所を開設。法に規定のない同性カップルのほか、おひとりさまやHIV陽性など、個々の事情にあわせたライフプランサポートを行なっている。同年、仲間とNPO法人パープル・ハンズ設立、事務局長をつとめている。
ここまでのことができるかはわからないし、そもそもやり方は違うだろうけれど、このような傷ついている人・困っている人のために本当に役に立つことをしたいと改めて思った次第である。