なぜ「女装趣味者」や「性別越境」ではなく「ジェンダー・フルイド」なのか?
このブログを読んで、私のことを「女装趣味者と何が違うのか?」と思う人も多いのではないかと思う。
あるいは性的マイノリティーに詳しい方なら、「『ジェンダー・フルイド』などと言っているが、昔からある『性別越境』のことではないのか?」と疑問を覚えるかもしれない。
正直に言えば、私も実は「女装趣味者」や「性別越境」と何が違うのか説明できない。
勉強が足りないこともあるのだけど、違いがあるはずなのだがうまく言語化できないでいる。
微妙な違いであることは間違いない。その微妙さをまだ言葉で掬えていないのだ。
ただ、「ジェンダー・フルイド」と自己規定する理由ははっきりしている。
「女装趣味者」や「性別越境」という言葉は、私を救ってくれなかった。このようにカテゴライズされても私は勇気を持てなかった。((これらの言葉でカテゴライズされることで救われている人たちを否定するものではもちろんなく、私にはしっくりこなかったというだけだ。
「ジェンダー・フルイド」という言葉は、私に力を与えてくれた。私はジェンダー・フルイドでありたいと思った。
言葉の遊び? そうかもしれない。だが、ペンは剣よりも強し。言葉は力なのだ。