揺らぐ性を生きる~私はジェンダー・フルイド

ジェンダー・フルイドという概念を1人でも多くの方に知っていただきたく、いろいろと書いております。

なぜ「見た目」が重要なのか

性同一性障害者の性別の取扱いの特例に関する法律」は差別的ではないのかという指摘記事を書いた。

miyuki-morikawa.hatenablog.com

その中で、「見た目」で男女を区別するのは差別的ではないかと書いた。

とはいえ、それは必要な話だという考え方も否定できない。

 「見た目」が特に問題になるのは、トイレと浴場だろう。

覗き目的で女性トイレの個室に女装して入る輩がいる。これは犯罪でしかない。

なので、女装者と分かる男が女子トイレに入ることを嫌がる女性が多いことは理解できるし、未然に防ぐために「女性かどうか怪しい人」に声を掛けるのも必要なことだと思う。

だが、その女装者が覗き目的ではなく、自分の(少なくとも女装しているときの)性自認が女性だったらどうだろうか。

ジェンダーに対する理解がないと言いたくなるところだが、そうとは言い切れない。なぜなら、その人の本当の目的を他人が完全に理解する方法がないからだ。

「性別適合のために『女性』として生活中」という診断書でもあれば別だが、それ以外では先の両者を区別する方法はない。

女装してどうしても女子トイレに入りたい「男性」は、パス(誰からも女性と見える状態)すべく努力する以外にない。

 

これが風呂になると、性別適合手術でも受けない限りは、ほぼ不可能だろう。豊胸している男性の中には、男性器を隠し通すことで女風呂に入る人もいるらしいが、例外的な話である。それに、これはたぶん犯罪に問われるだろう。

 

なので、性器も含めた「見た目」の問題はやはり大切なのである。

私としては、ジェンダーフリーのトイレや浴場が増えて欲しいと願うだけだ。

要するに「その他の性」のための施設が必要なのだと思う。